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家康が高めた井伊直政の「価値」とその後

武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」 第30回

■家康によって高められていった井伊家の「価値」

 

 井伊家は、かつて今川家が遠江や三河にまで勢力を有していた時代は、徳川家と同格の国人衆であったとも言われています。

 

 そのため家康が今川義元(いまがわよしもと)の死後、遠江に勢力を伸ばしていく際に、遠江の名門井伊家を傘下に組み入れることには高い効果が見込めました。直政は家康の養女を娶(めと)り徳川家と血縁関係を持ち、数少ない徳川の一門衆として重用されていきます。

 

 そして、家康の命によって武田家の家臣団と兵法を引き継ぎ、軍装も赤備えにするなど、井伊家は徳川軍団が必要とする組織へと変貌させられていきました。天正壬午(てんしょうじんご)の乱などで功績をあげ、徳川家中で地位を確立していきます。

 

 また、直政は秀吉からの覚えがよかった事もあり、徳川家の筆頭家臣として昇殿が許される侍従に任官され、陪臣の身分でありながらも大名と同格の地位を得ています。小田原征伐後の関東移封では上野箕輪12万石と家臣中で最大の領地を拝領し、関ヶ原の戦い後には近江佐和山18万石を得て、これも家臣内で最大の領地となります。

 

■直政の価値をより高めた「関ヶ原の闘い」

 

 直政は軍事と政治の両面において重用され、徳川家の家臣筆頭に位置づけられます。そして直政は、最大限に高まった「価値」に見合う活躍を関ヶ原の戦いで見せます。

 

 直政は関ヶ原の本戦において、徳川家の先鋒の名にふさわしいように、福島正則(ふくしままさのり)と先陣争いをしています。また、逃げる島津家をほぼ単騎で追撃し、狙撃され大怪我を負うほど獅子奮迅の働きをします。

 

 そして、戦後処理においても、負傷した体に鞭打ちながら主導していきます。特に外交担当として、毛利家や長宗我部(ちょうそかべ)家、島津家など外様大名たちの処遇について取り次いでいきました。真田昌幸(さなだまさゆき)父子の助命にも貢献したと言われています。

 

■上野安中3万石へと移された遠江井伊谷の井伊家

 

 しかし、これらの激務がたたったのか、体調を崩し42歳という若さで亡くなり、わずか12歳の嫡子直勝(なおかつ)が井伊家を継ぐことになります。そして直政の死後、家康の意向によって付けられた家臣団が派閥争いを始めます。直勝は指導力不足を理由に上野安中3万石へ移封され、彦根15万石は庶弟直孝(なおたか)が継承することになります。

 

 この時、遠江以来の譜代家臣と直政の遺品は安中へ、武田の旧臣や軍制など家康が作り上げた部分は彦根に残されるなど、幕府主導の元で井伊家は分割整理されます。この頃には、「遠江の名族」という井伊家の「価値」は重要視されなくなっていたようです。

 

 彦根井伊家は家康が手塩にかけて高めた「価値」を中心に、その管理者として直孝が据えられ、幕府にとって都合の良い形に最適化されてしまったように見えます。

 

■必要とされる「価値」は変遷していく

 

 直政の命懸けの活躍もあり、井伊家の「価値」は内外で評価されるほど最大化されました。しかし、天下を治めるほどに徳川家が成長してくると、井伊家に求められる「価値」は軍事力や官位などの実務的な面に移り、かつて必要とされていた遠江の名族という「価値」は薄れていったと考えられます。

 

 ただその一方で、直政の功績が高く評価されたからこそ、遠江井伊家が上野安中3万石で残されたとも言えそうです。

 

 現代でも、転職において前職での経験や実績、技術、ノウハウという「価値」が重宝されていたものの、組織の発展や成長が進むといつの間にか必要とされなくなるという事が多々あります。

 

 もし直政がもう少し長生きできていれば、遠江の要素も色濃く残された彦根藩になっていたのかもしれません。

 

 但し、南北朝以来、井伊家が尊王だった事は彦根藩にも引き継がれていたようで、戊辰戦争においては初期段階から官軍に参加する一因にもなっており、その功績が認められ新政府より章典禄2万石を与えられています。

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森岡 健司もりおか けんじ

1972年、大阪府生まれ。中小企業の販路開拓の支援などの仕事を経て、中小企業診断士の資格を取得。現代のビジネスフレームワークを使って、戦国武将を分析する「戦国SWOT®」ブログを2019年からスタート。著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。

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